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【淡路歴史探訪】その2 昭和歌謡の聖地 都志
- 歴史

レポーター紹介

投稿者 | 歴じい |
---|---|
性別 | 男性 |
年代 | 50代 |
住まい | 兵庫県淡路市 |
趣味 | 読書(司馬遼太郎など) |
自己紹介 | 淡路生まれの淡路育ち。歴史好きで戦国時代以降、明治の近代化までに興味があります。あまり光の当たっていない「淡路島の歴史や人物」をご紹介できたらと思っています。 |
昭和歌謡の聖地 都志

洲本市都志は江戸時代の豪商として有名な高田屋嘉兵衛のふるさとであるが、昭和歌謡という一つの時代の文化の中心となって活躍した阿久悠のふるさとでもある。
日本を代表する作詞家・作家阿久悠は、都はるみの『北の宿から』、沢田研二の『勝手にしやがれ』、ピンク・レディーの『UFO』などの大ヒット曲のほか、アニメソングやCM曲まで幅広いジャンルでヒット曲を世に送り出しました。その数は5000曲以上で日本レコード大賞受賞は史上最多の5回にもおよびます。
昭和12年(1937年)警察官の子供として鮎原で生まれた阿久悠は、父の勤務地の移動に伴い志筑、都志、江井、鳥飼と島内各地の引越しを繰り返しました。中でも小学2年生から中学1年生まで暮らし、多感な少年期と戦中・戦後という時代の変革期を過ごした「都志の街」が一番の故郷と言えるでしょう。
『瀬戸内少年野球団』をはじめ『墨ぬり少年オペラ』、『ちりめんじゃこの詩』、『ラヂオ』など阿久悠の長編小説の中では、都志の街での少年期が生き生きと描かれています。それはきっと九州生まれの両親を持ち、『友達はできても地元民にはなれないよ』と育てられ、島民としてではなく異邦人として淡路島の生活や文化、人々の暮らしを第三者的に俯瞰してきたからではないでしょうか。
青い屋根の自転車置場にはかつて阿久悠が生まれた兵庫県警察鮎原駐在所があった。
木造平屋の20坪ほどのボロボロな建物であったが、学級委員長で人気者であった阿久悠を慕って、毎日のように友人達が詰めかけた。自家製の野球盤ゲームをつくり、少年クラブなどの貴重な雑誌を読みまわして楽しんだ。そして、阿久悠は戦争で東京から疎開してきた友人に、東京の話を聞きたがったという。
また駐在所の裏は、芝居小屋の楽屋とつながっていた。旅一座の芝居や音楽を聴きながら育った彼は、先生に代わって学芸会の台本を書き演出までしていた。歌は3分間のドラマといわれるが阿久悠の歌が情景の浮かぶドラマのようだと言われる由縁は、少年時代この家で育ち、人情や盛り上げどころ、人の心をつかみ笑わせ、泣かし熱狂させる旅芝居を見聞きしながら育ったからだ。そして歌づくりだけでなく『スター誕生』などの番組も企画し多くの歌手を輩出し時代まで演出してしまったプロデューサーとしての才能はここで身に付いた。安普請で10年はもたないとまで言われたボロボロの小さな官舎で吸収したことが、人の心をつかんで離さない歌詞の元ともなっている。
近くの住吉神社での草野球も、「地元組」と「戦争で都会から疎かいしてきた疎かい組」とは対立があり、当初は別々にやっていたが、いつしか一つにまとまっていた。『瀬戸内少年野球団』のホームグランドでもあった。阿久悠は淡路島生まれだが、疎開組のリーダーであった。
阿久悠の人生に影響を与えた人として、都志小学校六年生の時の担任・伊藤先生との出会いがある。
阿久悠が『少年時代』というエッセイを教育関係者の読む機関紙に書いているが、終戦直後の綴り方教育は事実をありのままに書くように指導され重要視されていた。しかし阿久悠は虚構の世界を書くのが好きだったため、いつも嘘を書くと怒られていた。
ただ、米びつの米について書いた作文だけは例外的に評価された。食糧難の時代減っていく米粒たちの人間への思いや米粒同士の友情や別れを米粒の立場で描いたものであったらしい。それを文学青年であった伊藤先生は『きみの文章は横光利一を思わせる』と言って絶賛した。ただ小学校五年生の阿久悠は横光利一がどんな作家なのか想像もつかず、その時はよろこんだもののすぐに忘れていた。その先生の言葉を思い出したのは、大学を出て広告代理店に就職し、数年が過ぎたころ、自分の才能が世の中に通用するのか、確たる自身が持てない時に都志小学校の教室で聞いた伊藤先生の言葉が鮮やかに蘇ったそうだ。
自分の才能を認めてくれた一言が、深いところで自分を支え励ましてくれたという。天才も将来の灯りがみれず暗闇を切り開いて進むとき躊躇した。そんな時肩をたたいて『心配するな、大丈夫、自分を信じてまっすぐ進んでいいんだよ』とはげましたのがこの教室でのできごとであった。
もし伊藤先生の言葉がなければ昭和歌謡は誕生しなかったかもしれない。
一世を風靡した時代を代表する歌人は誕生しなかったかもしれない。
日本人の心をとらえて離さない数々の名曲は生まれなかったかもしれない。
昭和歌謡という文化が誕生しなかったかもしれない。
この島の小学校が、昭和歌謡の聖地とはいえないだろうか。
戦前の昭和を代表する作家であった横光利一を知らなくても、素直に才能を認め評価してくれる先生と出会えたのは、嵐の中の灯台の灯のようなものであったのではなかろうか。
白い倉庫のあたりに鳥飼駐在所があった
中学1年で江井中学に転校したが、洲本高校進学のため父はわざわざ1年で洲本高校の校区外の江井駐在所から無理にお願いして校区内の鳥飼駐在所に転勤しさせてもらったが、中学2年の3学期に結核にかかり絶対安静の日々が半年以上続いた。
鳥飼駐在所の窓から見える風景だけがすべてだった焦燥の日々。
そんな中、洲本高校に進学したが成績が伸びず、父の期待にこたえられない挫折を味わい、毎日映画館にこもり外の世界、東京への憧れを強くした。
当時、3館あった洲本の映画館でかたっぱしから映画を見た。そのころ洲本で上映された映画の7割は見たという。その経験が山本リンダや沢田研二、ピンクレディーなどのテレビ時代の見せる歌謡曲、画像として目にも響かす昭和歌謡が 誕生するヒントとなった。
他の生徒は自転車なのに病弱な彼だけがバス通学であった。体調がすぐれずなかなかスムーズに動けない阿久悠を毎日彼がくるまで出発時刻をすぎても待っていてくれたバスの運転手。絶望と投げやりな気持ちになりそうな日々、駐在所に立つ火の見櫓から見下ろすカラスからも励まされたと著作には書いてある。
淡路人の無言のやさしさと自然がともすれば潰れてしまいそうな彼を支えた。
昭和30年代までは淡路島の主要な交通手段は沿岸の港々にたちより人と物資を運ぶ連絡船であった。都志港も西浦沿岸の江井、郡家、室津、育波、富島とたちより明石にいたる連絡船の寄港する港であった。森昌子の『せんせい』や石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』もこの港での別れや旅立ちをイメージしたものであろう。
ウェルネスパーク五色にある『瀬戸内少年野球団』モニュメント
毎日、日が暮れるまで帆布に綿を詰めて手作りしたグローブと薪を削って作ったバットで夢中になった三角ベース。ラジオから聞こえる野球の実況放送に一喜一憂し、川上選手などのスター選手にあこがれブロマイドを集めた。
阿久悠の生誕地洲本市・鮎原にある洲本市立五色図書館には阿久悠の顕彰コーナーがあり、八代亜紀、直筆の阿久悠肖像画や小説の直筆原稿などゆかりの品が展示されているとともに阿久悠に関連する180点もの書籍やビデオなどの蔵書がある。
『舟歌』や「雨の慕情」などヒット曲の提供をうけた八代亜紀が感謝の気持ちを込めて描いた阿久悠肖像画は必見
阿久悠肖像画(八代亜紀作) 洲本市立五色図書館所蔵
阿久悠はそれまでの聴く音楽からテレビ時代の見せる音楽へかわっていった昭和歌謡という文化を作った天才である。
しかしそれは戦中の淡路島という情報に飢えた閉鎖的な社会に突然、敗戦とともに堰を切って、制度も価値観も今まで抑圧してきたもののすべてが取り払われ、映画を通じて世界中の情報が怒涛のように飛び込んできた。大人たちは戸惑うばかりの中、9歳の多感な少年阿久悠は異文化とのギャップを消化し、日本中に提案し指針を示したのかもしれない。
そして昭和歌謡という文化も、テレビ時代の申し子である一人の天才を通じて、戦中、戦後の価値観の激変と淡路島という環境が奇跡的に作用して生み出されたものかもしれない。
※ご協力ありがとうございました。
阿久悠さんの同級生Sさん
鳥飼の薬局さん
洲本市立五色図書館
※参考文献
瀬戸内少年野球団
想悠
※記事内容は取材当時の情報です。詳細は各イベント・施設・店舗までお問い合わせください。
Date:2020.12.21
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